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東京地方裁判所 平成7年(ワ)18345号 判決 1997年2月13日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

山田正明

被告

乙株式会社

右代表者代表取締役

丙川太郎

右訴訟代理人弁護士

中村光彦

右訴訟復代理人弁護士

木村英明

主文

一  被告は、原告に対し、金三三二万一六三八円及びこれに対する平成四年八月二二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金六二七万三〇四六円及びこれに対する平成四年八月二二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  土地の工作物の占有及び所有

被告は、東京都世田谷区弦巻<番地省略>に建物を所有し、この建物にスポーツ施設及びその関連施設(以下右建物を含めて「本件施設」という。)を設置、所有している。被告は、本件施設内において「DIVAスポーツクラブ」(ディーバスポーツクラブ)の名称でスポーツクラブを開設し(以下「本件スポーツクラブ」という。)、その運営・管理を行っている。すなわち、被告は、本件施設を占有し、かつ、所有している。

2  原告の地位

原告は、平成三年四月一〇日、本件スポーツクラブに個人正会員として入会し、本件施設を利用していた。

3  本件事故の発生

原告は、平成四年八月二一日、本件施設一階にあるプールで行われた水中体操に参加した。水中体操は午後一時三〇分ころ終了したので、原告は、シャワーを浴び、二階にあるロッカールームに行くため、階段で二階まで上り、ロッカールームに通ずる廊下を左に少し進み、階段と自分の行こうとしている通路部分とを隔てている柱に沿って更に左に曲がろうとした際、当該柱付近の箇所にたまっていた水に足を滑らせて転倒し、左手が柱の角に当たり、この結果、左橈骨遠位端骨折、左尺骨茎状突起骨折の傷害を受けた(以下「本件事故」という。)。

4  本件施設の設置又は保存の瑕疵

(一) 本件スポーツクラブの会員その他の利用者は、本件施設の一階にあるプール、シャワーを利用した後、着替えのため階段を上って二階のロッカールームに向かう。階段で二階に上ると、ロッカールームにまで通ずる廊下(以下「本件廊下」という。)となっている。利用者がプール、シャワーからロッカールームまで水着のままで通行するため、本件廊下は、利用者の身体から滴り落ちる水滴が飛散し、水たまりができることがあるが、そうなると、フローリング床面であるため、滑りやすくなる。

(二) 被告は、本件事故が発生した後、本件廊下の一部に合成樹脂製のマット(「すのこ」状の床材)を設置したが、この事実は、本件廊下に右危険性があることを裏付けるものである。

(三) しかし、被告は、本件事故発生当時、本件廊下について転倒等の事故発生防止のための設備を何ら設置しておらず、本件廊下には設置又は保存の瑕疵があった。

5  損害の発生

原告は、本件事故による前記受傷の結果、次の損害を受けた。

(一) 治療費 金三万二一〇一円

(1) 原告は、世田谷中央病院において、平成四年八月二一日から平成五年九月六日までの間、三一回通院治療を受けた。

(2) 原告は、右治療の費用の一部として、平成四年一二月六日に金二万〇三一六円並びに平成五年一月七日に金八七八六円及び金三〇〇〇円、以上合計金三万二一〇二円を支払った。

(二) 通院交通費

金一万七九八〇円

(一)(1)の通院治療のために片道金三一〇円の交通費を要し、原告は、通院二九日分の往復交通費を出損した。

(三) 休業損害

金七一万六六六六円

(1) 原告は、理美容店で使用する染毛剤等の薬品の製造販売を業とする山発産業株式会社に勤務し、染毛剤使用の技術指導をするインストラクターとして、理容師及び美容師に対して実地指導を行っていた。

(2) 原告の本件事故当時の給与は年額金四三〇万円であった。

(3) 原告は、本件事故による受傷のため二箇月間休業を余儀なくされた。

(4) よって、原告の休業損害は、次の計算式のとおり金七一万六六六六円である。

430万円×2/12=71万6666円

(四) 逸失利益

金二六〇万六二九八円

(1) 原告は、本件事故当時五五歳であり、本件事故による受傷の結果、左手関節尺骨遠位端が尺側へ膨脹し、前腕骨に変形を残し、外部より相見できる変形が後遺し、動作時に左手関節痛があり、局部神経症状(疼痛)を後遺し、また、橈側に偏位を認められ、さらに関節機能障害が生じた。

右後遺障害のため、左記のとおり仕事上に著しい支障を来たしている。

ア 左手の親指に力が入らず、薬剤のチューブを絞れない。

イ 左手の親指がつれて硬直し、人差し指にくっついて固まってしまうので、受講者の面前での毛染めの実技指導中、指導を中断せざるを得ない。

ウ 左手首が回転しないので、蓋を開けられない。

(2) 原告の右後遺障害は、後遺障害等級表一二級6号に該当する。(労働能力喪失率一四パーセント)

(3) 原告の事故発生当時の年収は、(三)(2)のとおりであった。

(4) 労働能力喪失期間は五年間である。(ライプニッツ係数4.329)

(5) よって、原告の逸失利益は、次の計算式のとおりである。

430万円×0.14×4.3294=260万6298円

(五) 慰謝料 金二四〇万円

(六) 弁護士費用 金五〇万円

(七) 以上損害合計

金六二七万三〇四六円

(八) 右損害は、被告による本件施設の設置又は保存の瑕疵によって生じたものである。

6  よって、原告は、被告に対し、設置又は保存に瑕疵のある土地工作物の占有者及び所有者の責任に基づき、不法行為による損害賠償として、金六二七万三〇四六円及びこれに対する本件事故発生の翌日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実のうち、原告が、平成四年八月二一日、本件施設一階にあるプールで行われた水中体操の終了後である午後一時三〇分ころ負傷したことは認め、その余は知らない。

3(一)  同4(一)の事実のうち、本件スポーツクラブの会員その他の利用者が、本件施設の一階にあるプール、シャワーを利用した後、着替えのため階段を上って二階のロッカールームに向かうこと、階段で二階に上ると、ロッカールームにまで通ずる廊下(本件廊下)となっていること、利用者がプール、シャワーからロッカールームまで水着のままで通行することは認め、その余の事実は否認する。プール利用者は、シャワーを浴びた後、よく身体をふいてから二階のロッカールームに向かう。

(二)  同4(二)の事実のうち、被告が、本件事故が発生した後、本件廊下の一部に合成樹脂製のマットを敷いたことは認め、この事実が本件廊下に原告主張の危険性があることを裏付けるものである旨の主張は争う。施設の管理者であれば、その管理上適当と考えることを試みるのが当然であって、そのことが当然に瑕疵の有無と結び付くものとはいえない。

(三)  同4(三)について、被告が本件事故発生当時本件廊下について転倒等の事故発生防止のための設備を何ら設置していなかったまの事実は否認し、本件廊下に設置又は保存の瑕疵があった旨の主張は争う。

(1) 本件廊下の床面は、ナラの木を小市松に組んだものでできている。

(2) 階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場、二階に上った所には、それぞれ足をふくためのマットが置いてあり、プール利用者は、そのマットで足をふくことができるようになっていた。

(3) 階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場には、身体をよくふくように促す注意書きがあった。

(4) 被告の係員は、クラブ内を清潔に保つために、廊下やロッカールーム等をおおむね一時間おきに巡回し、床の水滴をふき取ったり、掃除機でゴミを吸い取ったりしていた。また、プールでのレッスンが終了した後には、廊下の清掃を行っていた。したがって、二階廊下においても水がたまるということはなかった。

(5) 以上によれば、本件廊下は、通常有すべき安全性を備えていたというべきである。

4  同5の事実について、(一)(1)、(2)及び(二)は認め、(三)、(四)(1)、(3)及び(4)の各事実は知らない、(2)は争う。(五)は争う。(六)の事実は知らない。(七)及び(八)は争う。

5  同6は争う。

三  抗弁

1  免責特約

(一) 本件スポーツクラブの会則(以下「本件会則」という。)二五条一項には、「本クラブ利用に際して、会員本人または第三者に生じた人的・物的事故については、会社側に重過失のある場合を除き、会社は一切損害賠償の責を負わないものとする。」旨の規定(以下「本件規定」という。)がある。

(二) 被告は、本件スポーツクラブの入会申込希望者に対し、入会申込書類と共に本件会則を交付している。被告は、原告に対しても本件スポーツクラブの入会申込以前に本件会則を交付しており、原告は、右会則を承認の上で、被告に対し入会の申込をした。よって、原告は、本件スポーツクラブの入会に際し、被告との間で、本クラブの利用に際して原告に生じる人的、物的事故については本件規定による旨の合意をしたものというべきである。

(三) 被告は、本件廊下に設置又は保存に関し、請求原因に対する認否3(三)で述べた措置を執っており、事故発生について重過失がないというべきであるから、本件においては、被告は不法行為による損害賠償責任を免責される。

2  過失相殺

(一) プールを利用する者には、素足で廊下や階段を歩く際に、転倒するような行動をしないように注意し、転倒を防止する注意義務がある。

(二) 原告は、右注意義務を怠り、走って急ぐなどの行動をとった結果転倒した。

(三) よって、原告には、損害賠償額の算定にあたってしんしゃくされるべき過失がある。

3  一部弁済

被告の経営する本件スポーツクラブの支配人である春日修一郎及びフロントマネージャーである伊佐裕次は、平成四年一二月三日、原告宅を訪れ、治療費として金二万〇三一六円を支払った。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、原告が会則を承認して入会を申し込んだという点及び合意が成立したという点は否認する。

(三)  同(三)の主張は争う。

2  同2(二)の事実は否認し、(三)の主張は争う。

3  同3の事実は認める。

五  再抗弁―公序良俗違反(抗弁1に対して)

1  本件規定は、本件スポーツクラブ利用に際し発生した損害について、利用者は会社に対して責任を負うが、会社は軽過失の場合は免責されるという、合理性のない偏頗な規約である。

2  よって、右規定に基づく合意は公序良俗に反し、無効である。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁1、2の主張は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  本件事故の発生について

1  請求原因1、2の事実、同3の事実のうち、原告が、平成四年八月二一日、本件施設一階にあるプールで行われた水中体操の終了後である午後一時三〇分ころ負傷したこと、同4(一)の事実のうち、本件スポーツクラブの会員その他の利用者が、本件施設の一階にあるプール、シャワーを利用した後、着替えのため階段を上って二階のロッカールームに向かうこと、階段で二階に上ると、ロッカールームにまで通ずる廊下(本件廊下)となっていること、利用者がプール、シャワーからロッカールームまで水着のままで通行すること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠略>を併せて考えれば、次の事実が認められる。

原告は、平成三年四月一〇日、本件スポーツクラブに個人正会員として入会し、本件施設を利用していた。原告は、平成四年八月二一日午後〇時三〇分ころから午後一時三〇分ころまで、本件施設一階にあるプールで行われたアクアフレックスと称する水中体操に約一五名の会員と共に参加した。右体操の終了後、参加者約一五名が一斉にプールから上がり、一階でシャワーを浴びた後、階段を上って二階のロッカールームに向かった。原告は、混雑を避けるため、最後にプールから上がってシャワーを浴び、二階の女子ロッカールームで着替えるため、素足で階段を上った。階段を上ってくると、二階直近の箇所では、前方上部に本件廊下があり、左側にコンクリーート壁があるが、この壁とその反対側にある男子ロッカールームとの間に女子ロッカールームに行くための通路(本件廊下の一部)があるので、女子ロッカールームに行くには、階段を上り切ってから、この壁を後側まで回ってこの壁とその反対側にある男子ロッカールームとの間の通路(本件廊下の一部)を直進することになる。原告は、階段で二階まで上り、前記コンクリート壁の端を回るように、本件廊下を左に少し進み、更に左に曲がって前記コンクリート壁とその反対側にある男子ロッカールームとの間の通路(本件廊下の一部)に入って行こうとして左足を踏み込んだ際、当該コンクリート壁の端付近の箇所にたまっていた水に左足が右横方向に滑ってしまい、足を取られたようになって身体の左側面を下に転倒して行き、手をつこうとした瞬間に、左手首の尺側が左側にあった前記コンクリート壁の角に衝突し、この結果、左橈骨遠位端骨折、左尺骨茎状突起骨折の傷害を受けた。

二  本件施設の設置又は保存の瑕疵について

1  請求原因4(一)の事実のうち、本件スポーツクラブの会員その他の利用者が、本件施設の一階にあるプール、シャワーを利用した後、着替えのため階段を上って二階のロッカールームに向かうこと、階段で二階に上ると、ロッカールームにまで通ずる廊下(本件廊下)となっていること、利用者がプール、シャワーからロッカールームまで水着のままで通行すること、同4(二)の事実のうち、被告が、本件事故が発生した後、本件廊下の一部に合成樹脂製のマットを敷いたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実及び前記認定事実に<証拠略>を併せて考えれば、次の事実が認められる。

本件施設は平成三年六月一日にオープンしたばかりで、本件事故発生まで一年三箇月弱しか経過していなかった。本件施設は、一階にプール、シャワー、男子プールロッカールーム、女子プールロッカールーム、シューズロッカー、二階に男子ロッカールーム、女子ロッカールーム、シャワールーム、サウナ、シューズロッカー、フロント、エントランスホール、玄関があり、本件スポーツクラブの会員その他の利用者は、本件施設の一階にあるプールを利用した後、一階又は二階のシャワーを浴びる。二階のロッカールームを利用する者は、着替えのため素足で階段を上って二階のロッカールームに向かう。階段を上ってくると、二階直近の箇所では、前方上部に本件廊下があり、左側にコンクリート壁があるが、この壁とその反対側にある男子ロッカールームとの間に女子ロッカールームに行くための通路(本件廊下の一部)がある。

本件事故当時の階段及び本件廊下の状況は次のとおりであった。利用者が一階のプール、シャワーから二階のロッカールームまで濡れた水着のままで通行するため、被告は、階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場、二階に上がった所にそれぞれ足をふくためのマットを置き、階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場には、身体をよくふくように促す注意書きを掲示していた。本件廊下はフローリング床面になっており、その材質はナラの木の小市松であったが、階段のごく手前にマットを置いたほかは、本件廊下に特に滑り止め等を敷設していなかった。被告の係員は、クラブ内を清潔に保つために、本件廊下やロッカールーム等をおおむね一時間おきに巡回し、床の水をふき取ったり、掃除機でゴミを吸い取ったりしていた。また、利用者がプール、シャワーの利用後身体をよくふかず、水着が水分を相当含んだ濡れた状態のままで本件廊下を通行することが少なくなく、被告の係員は、プールでのレッスンが終了した後、時間を見計らって本件廊下の水をふき取る等して清掃を行っていた。

被告は、本件事故が発生した後間もなくして、本件廊下に合成樹脂製のマット(カラーすのこ)を敷いた。そのため、マットの下をモップ等でふくことをしなくなり、三年後にマットを取り除いてみると、前記コンクリート壁の端付近の箇所は黒く変色し、表面の腐食が始まっていた。この箇所は、原告が足を滑らせた箇所ないしそのすぐ近くである。

3  右事実に基づいて考えると、本件事故当時、前記コンクリート壁の端付近の箇所は、何らかの原因のために、利用者の身体から落ちた水滴が集まって小さな水たまりができやすかったこと、この箇所に水がたまっていると、滑りやすかったこと、以上の事実を推認することができる。

証人伊佐裕次は、水中体操のレッスン終了後に前記コンクリート壁の端付近の箇所に水がたまっているということに気づいたことがなかった旨証言するが、前記のとおり、本件事故後に、敷いたマットの下に水がたまり、床面にしみ込んで腐食変色しており、このことから考えると、マットを敷く前も当該箇所に水がたまりやすかったことを推認することができ、この事実に照らすと、証人伊佐裕次の右証言は採用することができない。

4  民法七一七条一項にいう「土地ノ工作物」とは、土地に接着し、人工的作業によって成立したものであると解されているが、原告主張のとおり本件施設がこれに該当することはいうまでもなく、特に本件廊下について瑕疵の有無を検討すべきである。

同条項にいう「工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アル」とは、当該工作物が当初から、又は維持管理の間に、通常あるいは本来有すべき安全性に関する性状又は設備を欠くことをいい、その存否の判断にあたっては、当該工作物の設置された場所的環境、用途、利用状況等の諸般の事情を考慮し、当該工作物の通常の利用方法に即して生ずる危険に対して安全性を備えているか否かという観点から、当該工作物自体の危険性だけでなく、その危険を防止する機能を具備しているか否かも併せて判断すべきである。

前記認定事実によれば、本件事故当時、被告は、階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場、二階に上がった所にそれぞれ足をふくためのマットを置き、階段の一階の上り口、一階と二階との間の踊り場には、身体をよくふくように促す注意書きを掲示していたが、プール、シャワー利用後よく身体を拭かず、水着が水分を相当含んだ濡れた状態のままで利用者が通行することが少なくなかったため、本件廊下は、ナラの小市松材質でフローリングされた床面上に水滴が飛散し、しばしば滑りやすい状態になったこと、殊に、前記コンクリート壁の端付近の箇所は、何らかの原因のために、利用者の身体から落ちた水滴が集まって小さな水たまりができやすく、この箇所に水がたまっていると滑りやすかったこと、利用者は素足で本件廊下を通行するので、転倒して受傷する危険性があったこと、被告の係員は、本件廊下やロッカールーム等をおおむね一時間おきに巡回して床の水をふき取ったり、プールでのレッスンが終了した後も、時間を見計らって本件廊下の水をふき取る等して清掃を行っていたが、その清掃が行われる前には、本件廊下、殊に、前記コンクリート壁の端付近の箇所は、小さな水たまりができる等して滑りやすい状態になっていたこと、しかるに、カラーすのこを敷く等して右危険を防止する有効な措置が執られていなかったこと、以上のとおりであったから、本件廊下は、一階から濡れた水着のままで上がってくるプール利用者が通行するため、利用者の身体から水滴が落ち、素足で通行する利用者にとって滑りやすい箇所が生ずるという危険性を有していたものというべきである。

したがって、本件施設には、設置又は保存の瑕疵があったものと解するのが相当である。

三  免責特約(抗弁1)について

1(一)  抗弁1(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠略>を併せて考えれば、被告は、本件スポーツクラブの入会申込希望者に対し、入会申込書類と共に本件会則を交付しており、入会申込者が入会する際に提出する入会申込書には、「私は、…(中略)…別紙クラブ会則…(中略)…を承認の上、入会を申込みます。」と不動文字で印刷されていること、原告が本件スポーツクラブに入会する際に提出した入会申込書にも右の記載があったこと、本件会則は、本件スポーツクラブの目的、会員資格、入会手続、会員の権利、義務等を定めているが、被告によって一方的に定められ、多数の会員に統一的に適用されるべき定型的なものであること、以上の事実を認めることができる。

3  右事実に基づいて考えると、原告は、本件スポーツクラブの入会に際し、被告との間で、本件スポーツクラブの会員資格、本件施設の利用等に関する具体的な内容は本件会則の定めによることを承認する旨の包括的な合意をしたものということができるが、本件会則が被告によって一方的に定められ、多数の会員に統一的に適用されるべき定型的なものであること、原告に限らず、入会を申し込む者は、本件スポーツクラブの管理、運営上必要、かつ、相当な内容のものが定められているはずであると考えて右のような包括的な合意をするのであり、このような期待ないし信頼について保護されるべき正当な利益を有するものといえることにかんがみると、右包括的な合意の具体的内容を確定し、その法的効力を肯定するに当たっては、次の点に注意すべきである。まず、本件会則の意味内容が一義的に明確に決まっていないため、その条項を解釈する必要がある場合には、個々具体的な契約当事者の立場から入会に際しての個別具体的な事情を考慮したり、あるいはあたかも法令の解釈に当たって立法者の意思をしんしゃくするように作成者である被告の意思をしんしゃくして当該条項を解釈すべきではなく、一般的、平均的な入会申込者ないし会員にとって予期可能であり、かつ、合理的に理解することができる内容のものとして客観的、画一的に当該条項を解釈すべきである。次に、本件会則の条項の意味内容が確定している場合においても、その内容が合理性を備えている場合に限り、会員の具体的な知不知を問わず、会員に対する法的効力を有するものであり、そのような合理性を備えていないときには、当該条項は会員に対する法的効力を有しないものと解するのが相当である。そして、本件会則の規定の内容が、会員資格取得の手続、本件スポーツクラブの管理、運営に関する事項を定めるものである場合には、公序良俗に反するものでない限り、原則として右の合理性を肯定することができるが、契約当事者としての基本的な権利義務又は不法行為による損害賠償請求権に関する権利義務について定めるものである場合には、そのように定める目的の正当性、目的と手段、効果との間の権衡等を考慮して右の合理性を備えるものであるか否かを判断するのが相当である。

4  本件規定は、「本クラブの利用に際して、会員本人または第三者に生じた人的・物的事故については、会社側に重過失のある場合を除き、会社は一切損害賠償の責を負わないものとする。」旨定めているのであるから、文言上は本件施設内で被告の軽過失により生じた一切の債務不履行及び不法行為につき被告の損害賠償責任を免除する趣旨であるかのように読む余地が全くないわけではない。

しかし、一般的、平均的な入会申込者ないし会員にとって予期可能であり、かつ、合理的に理解することができる内容のものとしては、スポーツ活動には危険が伴うから、会員自ら健康管理に留意し、体調不良のときには参加しないようにすべきであること、あるいは本件施設に現金、貴重品を持ち込まないようにすべきであり、持ち込むときには自らの責任において管理すべきであること、したがって、会員自らの判断によりスポーツ活動を行い、あるいは本件施設に現金、貴重品を持ち込んだ結果、身体に不調を来し、あるいは盗難事故に遭ったときには、被告に故意又は重過失のある場合を除き、被告には責任がないこと、以上のように理解するものと考えることができる。すなわち、社会通念上、普通の知識、経験を有する成年の男女がスポーツ活動を行う場合には、スポーツ活動そのものに伴う危険については、通常予測される範囲において、スポーツ活動を行う者がこれを自ら引き受けてスポーツ活動を行うものと考えられているのであり、本件規定は、このような社会通念を踏まえて、スポーツ施設を利用する者の自己責任に帰するものとして考えられていることについて、事故が発生しても、被告に故意又は重過失のある場合を除き、被告に責任がないことを確認する趣旨のものと解するのが相当である。

本件施設の設置又は保存の瑕疵により事故が発生した場合の被告の損害賠償責任は、スポーツ施設を利用する者の自己責任に帰する領域のものではなく、もともと被告の故意又は過失を責任原因とするものではないから、本件規定の対象外であることが明らかであるといわなければならない。

よって、その余の点のついて判断するまでもなく、抗弁1(三)の主張は理由がない。

四  損害について

1  治療費及び通院交通費について

(一)  請求原因5(一)(治療費)及び(二)(通院交通費)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  抗弁3(治療費の一部弁済)の事実は、当事者間に争いがない。

(三)  そうすると、原告主張の治療費及び通院交通費は、二万九七六六円の限度で理由がある。

2  休業損害について

同5(三)の事実については、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故後二箇月間勤務先を休んだ日はあったものの、講習日には出勤し、右の間の給与は支給されていたことが認められるから、本件事故による休業損害が生じたことを認めるに足りない。

3  逸失利益について

(一)  <証拠略>によれば、同5(四)(1)の事実並びに原告左手関節の背屈運動の可動領域が三五度で、正常可動領域の約二分の一であることが認められ、原告の後遺障害は、後遺障害等級の第一二級六号に該当するものというべきである。

甲第一号証の記載中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく採用することができない。

(二)  <証拠略>によれば、原告の事故発生の直近に当たる平成三年分の年収は、原告主張の四三〇万円を下回らないことが認められる。そこで、労働能力喪失期間五年間、ライプニッツ係数4.3294により原告の逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり二六〇万六二九八円となる。

430万円×0.14×4.3294=260万6298円(円未満切捨て)

4  慰謝料について

本件口頭弁論に顕れた一切の事情をしんしゃくすると、慰謝料としては二四〇万円が相当である。

5  過失相殺(抗弁2)について

<証拠略>によれば、本件スポーツクラブ開設から本件事故当時までの間、本件廊下において水に足を取られて滑った会員は、原告のほかにいなかったこと、原告は、本件事故直前に、本件廊下の前記コンクリート壁の端付近の箇所に水がたまっていることに気が付いていたこと、原告は、階段を上りきって左折した瞬間に足を取られたこと、原告には、この間の足下の状況についての正確な記憶がないこと、以上の事実が認められる。

右認定事実に基づいて考えると、原告は、本件廊下を歩行するに際し、フローリングされた床面上に水がたまっていることに気が付いたのであるから、足下の状況に十分注意し、水を避けて歩行すべき義務があるのにこれを怠り、漫然と歩行した過失が認められる。

よって、本件賠償額の算定にあたっては、原告の右過失を考慮し、原告の損害に四割の過失相殺をするのが相当である。

6  小括

前記のとおり認めた損害額を合計し、これに四割の過失相殺をすると、次のとおり、三〇二万一六三八円となる。

2万9766円+260万6298円+240万円=503万6064円

503万6064円×(1−0.4)=302万1638円(円未満切捨て))

7  弁護士費用は、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等に鑑み、三〇万円を相当とする(右算定に当たっては、不法行為時からその支払時までに生ずることのあり得るべき中間利息を原告が利得することのないよう考慮した。)。

8  よって、認容すべき損害額は合計金三三二万一六三八円となる。

四  以上の次第であって、原告の本訴請求は、主文第一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官髙世三郎)

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